代表あいさつ
志…自己紹介にかえて
![DSC09420_morita](http://slow-hand.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2015/09/DSC09420_morita.png)
あるお客さまとの出会いがきっかけで
わたしはそもそも建築を志していたわけではありませんでした。大学卒業時、就職活動もほとんどしないで
なんとなく住宅業界に足を踏み入れてしまったような感じなのですが、
人生というのは面白いもので、そんな自分が住宅の仕事を続けて25年強の月日が経ちました。
キャリアのスタートはハウスメーカーの代理店もかねた地域ビルダーの営業マンでした。
入社して3年目に担当したあるお客さまとの出会いが、
その後この仕事での道先を決めたといって過言ではありません。
そのMさんは地元(わたしの出身は愛知県豊橋市です)にある国立大学で
今は当たり前になった省エネ住宅の研究をしている方で、
当然自宅の建築はその考え方を取り入れることが担当者としてのミッションとなりました。
わたしは探求好きの性分もあって、M先生の家づくりに興味深く携わり、
おかげで先生から省エネ住宅における専門知識をずいぶんいただきました。
「これからは省エネ住宅じゃないとなぁ」とひとり思いを強くしたものです。
その頃の住宅といえば、シングルガラスに断熱材も50mmのグラスウールというのが一般的で、
省エネや健康を住宅に求める声はほとんどありませんでした。
世の中がバブル景気に浮かれるその頂点だった1990年のことでした。
それともうひとつ、先生から住宅内の室内環境のことについてもいろいろ教えてもらいました。
省エネにするためには断熱・気密をよくしないといけない。しかし気密をよくすると家の中の空気がよどむ。
それを解消するためには換気をしっかりしないといけない。
極寒の北欧の家には換気システムが必ず着いている…などということです。
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自宅の建替えがつらい経験に
実は中学2年の夏休みに両親が自宅を建替え完成したのですが、
住み始めてすぐに3つ下の弟が原因不明のめまいや頭痛・吐き気にさいなまれ、
うれしいはずの新しい家での生活がつらい毎日になってしまったんですね。
病院にいっても原因がわからず、もらった病名は「自律神経失調症」。
父は厄年で建てたことを後悔していたようでした。夏休みがおわり、
学校に毎日行くようになって弟のようすはずいぶん改善しましたが、ほんとうにつらい夏休みでした。
1990年代半ばにシックハウス症候群という言い方で世に知られたわけですが、
その数年前に先生からその理屈を教えられていたわけです。
OMソーラーとの出会い、そして転職
そのなかで知ったのがOMソーラーシステムです。詳しくは割愛しますが、
太陽の熱で空気をあたため、それを暖房や給湯に活用する。
しかも実にシンプルなしくみであるというところに、ものすごく興味をいだきました。
くわえて、その考え方が、たとえば昔からある素材を利用して自然に近い暮らしをしようというところが
逆にとても新鮮で、腑に落ちるところがありました。わたしはそれ以来、
できる限り自然に近い家づくりをしよう、気持ちよいと感じられる家をつくろうと意を強くしました。
省エネはそういう家にすれば結果としてついてくるものではないか。
なんとなく働き出して3年が過ぎたころ、ゆるぎないこころざしを持つことができました。
弟はその後同じような症状は現れず、家庭をもち2000年に家を建てました。
そのときにもかわいい姪っ子たちが父親と同じようにならないために自然素材で仕上げ、
OMソーラーシステムを取り入れた家にしました。家が出来上がって引っ越しもひと段落した頃、
弟家族の様子を見に行くと姪っ子が無垢の床に寝転がり、
かえる泳ぎのかっこうでお出迎えしてくれました。お母さんは行儀が悪いとおかんむりでしたが、
わたしは涙がでるほどうれしい気持ちでした。
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支持される家をつくっている実感
転職先のM社は私自身それまでも情熱を傾けていたソーラーハウスの発祥会社で、
ずっとあこがれていました。「いい家をつくる会社」として浜松の人たちに深く認知されていて、
お会いするお客様からそのことがひしひしと伝わり、そこで働けることにとても充実した気持ちでした。
忘れられない出来事があります。
ある日仕事中に交通事故に遭ってしまい、相手の方が赤信号で交差点に突っ込んできたのですが、
逆にその相手の方がケガをしてその場で実況検分ができないため
後日警察署にきて欲しいと係りの警察官の方に言われました。後日そのとおり出向くと
当日現場に来ていた眼光は鋭いけれど実直そうな警察官の方が待っていました。
名前や住所や勤務先、事故の状況を話したりしたのですが、ひととおり話が終わったところで
その警察官の方が突然「ところで話は変わるけど…」といい始めました。
私はとっさに自分の近ごろの行動を思い返し、やましいことなんてしてないぞと身構えていたら、
その警察官の方がこう続けました。「いやぁ、Mさんって実にいい家をつくるよねぇ。
あのナントカソーラーっていうのもよく考えたシステムだよね。」と私の勤務先を知ってそう話をふってきました。
私ははただ、唖然として「あ、ありがとうございます。」と答えるのが精いっぱいでした。
聞けば、つい最近家を建てたばかりで着工してしばらくして気持ちに余裕ができた頃、
他のモデルハウスも見てみようと思ったところ、M社の展示場を見つけたそうです。
その警察官の方はM社のモデルハウスの特長でもある日本の民家のよさをカタチにした雰囲気に
自分が住みたかったのはこういう家なんだと思ったそうです。
でもすでに着工してしまって今さらどうしようもなく正直ちょっと後悔しているよと語っていました。
長く住宅業界で働いてきて、こんなふうに建ててもいない方から「いい家をつくるね」なんて
言われたことはありませんでしたし、その警察官の方の風貌と
そのときのシチュエーションとのギャップもあってとても鮮明に記憶しています。
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突然の倒産・そして…新たな志(こころざし)
日々とてもいい仕事をさせていただいたのですが、2003年に突然会社が倒産という事態になってしまいました。
その時は、まさか自分たちで会社を設立するなんていうことは微塵も考えませんでした。
ただその時点で工事途中の建て主さんが複数いらっしゃって、
その大半は私が営業担当をしてお仕事をいただいた方でした。
その方たちのケアはできる限りしたいと考えていましたが、何ができるかはなかなかイメージできませんでした。
そのとき考えたことはこんなことです。
住む人に考え方を引き継ぐことだと思ってやってきた。
地元の方々に評価されていたM社の良質な部分とは、まさにその実践がカタチなっていたから。
単に家をつくるだけなら、いろんな業者さんがやれることだけど、
そこに思想や考え方を意識的に、計画的に取り入れて住む方にきちんとお伝えして、
引き継いでいくことは、手間も時間もかかるし、誰にでもできることではない。
それこそが自分の使命なんだ。”
幸い工事途中の仕事と倒産時にご計画中だった方たちがそのまま私たちにご用命していただき、
スローハンドは2003年に無事船出することができ、今に至ります。
ほんとうに建て主さまに恵まれて、どの建物もその考えを実践し、カタチにすることができたと思っています。
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乾杯の挨拶では事情を知るみんなが涙を流しました。
新たな「スローハンド」として。
ただ、正直なところ私はそこに最後の3年間しか所属していませんでしたので、
そのミッションから考えると、M社で20年働き、
技術的支柱でもあった杉本が代表を務める方が自然であると考え、ここまでそのかたちでやってきました。
設立から10年が過ぎ、当初のミッションは十分果たしたことに加え、
会社をさらなるステージに導く必要も感じたことから、
2015年9月より、私、森田勝明が代表を務めることとなりました。
もちろん設立当初のミッションも基本としつつ、
新たなスローハンドのミッション「ていねいな暮らしの提案と実践」を掲げて
これからも楽しく家づくりに携わり続けていきたいと考えております。
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スローハンド有限会社 代表